日記

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  ▼ここに書かれている内容は、あくまで私個人が感じたことなどです。
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  2003/06/10

    ■ハチャトゥリアン:交響曲第2番「鐘」
     チェクナヴォリアン指揮/アルメニア・フィルのCD(ASV)。

     作曲者&VPO盤(Decca)のただならぬ雰囲気を持った演奏に比べると、はるかにノリが軽いというか、聴き易い演奏です。演奏時間もトータルで10分ほど短いです。

     ただ、こうやって聴いてみると、この曲「大作」「力作」ではあるものの、やはり音楽的魅力は今一つという感は拭えません。部分部分では美しい、<らしい>音楽はあるものの、全体的に単調な印象がありますし、第2楽章「スケルツォ」も速いテンポの彼お得意の音楽なはずですが、私としては「ガイーヌ」の中の舞曲の方が数倍魅力的です。

     この演奏、第4楽章は吹っ切れたような迫力があって、なかなか聴かせてくれます。作曲者の録音では、どこか中途半端な煮え切らないような音楽になってました。まだ「ソビエト」が存在していた「時代」の演奏、いかにもありがちな「社会主義的」フィナーレに対しての<恥ずかしさ>みたいなものがあったのでしょうか。

     (★★★★☆)

  2003/06/09

    ■マーラー:交響曲第5番
     S・ラトル指揮/ベルリン・フィルのCD(EMI)。

     ご存知、鳴り物入りで大々的に登場した「話題盤」でしたが、ネット上などでの意見では賛否両論、というか賛否「2:8」くらい、つまり否定的な意見が多い。

     早い話、みんなラトル盤が出る前にすでに満足していたんですよね。バーンスタイン、テンシュテット、バルビローリ、クーベリック、あるいはカラヤン等々、それぞれお気に入りの録音(パートナー)を持っていた。そこへいきなり新参者が、それもコッソリ控え目にではなく、「私が一番」とばかりに堂々と現れた。ここで、ほいほい乗り換えたり、それを賛美するのは男の沽券(こけん)に関わる...。

     <のめり込み型>の演奏ではないのでそこで好みは分かれるでしょう。ラトルはこれまでバーミンガム市響と多くのマーラーを録音してきましたが、一番差が大きいのは木管楽器。やはりBPOは素晴らしいし、また低弦の存在感も大きいです。

     第3楽章はソロ・ホルン奏者を指揮者の横に立たせて演奏させていて、音だけでもそれははっきり分かります。マーラーもそういうアイデアを持っていたそうですが、スコアを見てみると全てが<独立した>ソロとして扱われているとは限らないので、コンサート(映像)ではともかくCDでは微妙なところかもしれません。

     正直、オペラシティで聴いたバーミンガムとのマーラー「第7交響曲」の圧倒的驚き/感銘はないのですが、なにはともあれ、これからこの曲を聴く人にとって、強力な選択肢が一つ増えたのは間違いないことであると思います。

    (★★★★★)

  2003/06/08

    ■N響・イン・サンクトペテルブルグ
     C・デュトワ指揮によるロシア公演、旧レニングラードにおけるコンサートの模様をNHK・BSにて。

     ステージは奥行きが狭い感じで、木管楽器は後ろの壁のすぐ前で演奏してました。金管、打楽器は両サイド。トロンボーンの前に透明なプラスチック板を置いていたのはバランス調整でしょうか。

     さてデュトワですが、例えば先日のビシュコフに比べるとはるかにスマートな「カッコイイ」棒ではあると思いますが、いかにも<流して>いる印象で、何か大事なものがすっぽりと抜け落ちてしまっているように感じます。

     この後、1987年のN響定期におけるサン=サーンス「交響曲第3番」のLDを観てみましたが、ここには「音楽」と真正面に向き合う、本当に素晴らしい指揮者がいます。TV画面の前で思わず「ブラヴォー!」と声を掛けたくなってしまいました。

     これはデュトワ自身の問題なのか、あるいはデュトワとN響との関係の問題なのかは分かりません。ただ、このような演奏を続けるようでしたら、これ以上音楽監督を務めてもらうこともないでしょう。(かといってアシュケナージがいいかというと別な話ですが...)

     デュトワももうすぐ70歳です。モントリオール響とも喧嘩別れしたようですし、このまま鳴かず飛ばずで終わってしまうのか...是非よいパートナーを見つけて、もう一花咲かせて欲しいと思っています。

    (どうした!?:★★☆☆☆)

  2003/06/05

    ■寄り道&久々吹奏楽
     新宿タワーへ寄り道。R氏と再会(?)。物々交換の件よろしく。>R氏

     店内でマタチッチ&N響の1975年ライブ、チャイコフスキー「第5交響曲」が流れていて、これがなかなか素晴らしい演奏でつい聴き入ってしまったのだけれど、一昔前「クラシックファン」は「N響」なんて聞くと、はなから「けっ!」みたいな感じで相手にしないのが「通」みたいな風潮もあったけれど、いい指揮者が振ればいい演奏はするという(当たり前の)ことが素直に受け入られるような時代になってきたのか。もっとも、かつては外国オケの録音は超一流所がほとんどだったということもあるかもしれないけれど。

     久々に吹奏楽関係、コーポロン&シンシナティWSギンリングハム「ベトナムの回顧」他のCDを購入。帰宅後に聴いてみたけれどもインパクトは今一つ...眠かったからかな。

     確かに新しいタイプの「オリジナル曲」という印象はあるけれど、(あくまで一般論として)結局どういう音楽スタイルをとろうとも、最終的にはその作曲家の資質に行きついてしまうと思う。吹奏楽しか聴けない環境にいるわけではないのだから。

  2003/06/04

    ■S・ビシュコフ&ケルン放送交響楽団
     サントリーホールにて。

     メインはショスタコーヴィチ「交響曲第7番」。ビシュコフの指揮を見るのは初めてでしたが、かなり<熱い>ものを持った指揮者で、速めのテンポでぐいぐい曲を進めていきます。で、トゥッティの部分はいいのですが、響きの薄い静かな部分ではあまりにも音楽が雑作なく流れすぎてしまっているようで、かなり物足りなかったです。もっと心に響くものがあってもいいいのではないか。

     棒は正直判りにくく(特に拍の頭が)、実は拍子の変化が激しいこの曲、音楽の持っている<呼吸>が失われてしまっていたようにも感じました。舞台上にずらっと並んだ金管楽器、音が飽和して団子状態にならないのは素晴らしく、<うるさい>という印象は全くなかったです。

     この「レニングラード」という曲、どういう風に聴いていいのか、今一つ掴み所がありません(演奏云々でなく)。いろいろ言われているような「解釈」「意味(標題)」がある音楽なのか...終楽章のコーダ、第1楽章のテーマが再現する部分でビシュコフはバンダを起立させて演奏させる「演出」を行ない、これはこれで面白いですが、果たして<そういう>曲なのかという気持ちもあります。

     前半はブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」。なんと言ってもソリストの庄司紗矢香さん。ちいさくて可愛らしい女の子(身長は座って演奏しているオケのメンバーと同じくらい)が、ステージマナーも堂々とドイツの名門オケの前で見事なソロを弾いてくれました。逆にオケは冒頭から全く響きがまとまらず、この曲は庄司さんのヴァイオリンが全てでした。

    (庄司さん:★★★★★/ショスタコ:★★★★☆)

  2003/06/03

    ■チャイコフスキー:大序曲「1812年」
     1974年に録音されたスヴェトラーノフ&ソビエト国立響のチャイコフスキー「1812年」(メロディヤ録音)がCD化されるようです。

     これは、いわゆる「改竄版」による演奏です。コーダ、ロシア軍進軍の行進曲に「ロシア国歌」がかぶさるクライマックス。この「ロシア国歌(当時)」の旋律がソビエト政府の意向による政治的な介入から、別のメロディ(グリンカのオペラからの流用)に置き換えられています。

     同じ旋律が使用されている「スラヴ行進曲」でも同様の「改竄」が行なわれていますが、フェドセーエフはこの曲(「スラヴ…」)をビクターに録音するとき、当局に「外国向けの録音だから」という理由で原曲通りに演奏することを交渉して許可を得たそうです。自国の偉大な作曲家チャイコフスキーの作品を、政治的な理由で勝手に手を入れ「改竄」する、それが彼には我慢ならなかったのでしょう。

     スヴェトラーノフはどういう気持ちでこの「改竄版」を演奏・録音したかは分かりません。しかし、ソビエト崩壊後には原曲通りにキャニオンに再録音を行なっています。

     この旧ソビエト時代の<遺物>である録音を引っ張り出してくるということについては、非常に複雑な気分です。確かに「資料的」な意味は大きい。しかし、スヴェトラーノフはソビエト崩壊後も活動を続けた人です。おそらくは不本意な形で政治に介入された代物を公開されることは、指揮者にとっては決して嬉しいことではないのではないだろうか。聴き手にとっては「演奏が素晴らしいのだから...」ということになるかもしれないけれど...。

  2003/06/02

    ■プロコフィエフ:交響曲第5番
     マゼール指揮/クリーヴランド管弦楽団のCD(Decca)。1978年録音。

     これは本当に素晴らしい演奏です。何よりオケが<巧い>。管楽器もそうですが、弦も実に見事にアーティキュレーションが統一されて<一人で弾いている>ようです。指揮者のやりたい音楽を確実に「音」にしている感じがします。また、どんな箇所でも全てが「音楽」になっていて、漫然と音が出ている箇所がありません。

     第1楽章「アンダンテ」、終始遅目のテンポですが、それが最後までキッチリとキープされていて、内容がぎっしり詰まった演奏。第2楽章再現部から最後へかけての「加速」も全く危なげなく終結部の金管楽器のアクセントも見事に決まっています。第3楽章も本当に豊かに美しく響いています。

     あえて文句をつけるとあまりに安定しすぎていて、プロコフィエフの音楽にあるデリケートな<危うさ>が薄くなっているかもしれません。また「ロシア的」あるいは「プロコ的」な<何か>が足りないかもしれません(漠然とした言い方ですが)。しかし、それは贅沢な話で、このコンビの名演奏の一つであるのは間違いないと思います。

    (オススメ:★★★★★)

     この演奏、ポリドール系の「パノラマ」シリーズという同じ作曲家の曲を集めた2枚組に収録されています。早い話<寄せ集め>CDでやや中途半端なところもありますが、上記以外にも、アバドの「古典交響曲」や彼が伴奏を務めた協奏曲などが収録されていて「お買い得」です。

  2003/06/01

    ■G vs.T
     いやぁ、高橋(由)本当によく打ってくれました。

     とにかく、前日(31日)は最悪の負け方。2点差で河原リリーフ。ノーアウト1塁2塁からの失敗したバントを福井がエラー!もしここでダブルプレーを取っていれば、いくら今のヨレヨレ河原でも逃げ切った可能性は高いし、アウト一つでもいい。しかし、それをエラーしてノーアウト満塁。こうなったらもう抑え切れませんし、この状況では後から出てきたピッチャーも責められません。

     そして今日(1日)、もしもGが負けたら、流れは完全にT。あの福井のプレーがペナントの行方を決めたと言われたかもしれません。しかし、ここでこらえて勝ってくれたことはとてつもなく大きい。

     まだまだトラ・ファンは安眠することはできないはず。「早く落ちて来ぉ〜い」>T

  2003/05/30

    ■ボーナス
     アバド&BPOワーグナー・アルバム(グラモフォン最新盤)、例によって「国内盤先行発売」みたいですが、さすがに「先行発売」だけでは売れ行きが上がりそうにもないと察したのか(前回のマーラーで国内盤の粗雑な造りがばれているから)、国内盤に限り「ボーナス・トラック」として「ワルキューレの騎行」が付いているみたいです。

     しかし、「パルジファル」「トリスタン」と続いたアルバムの最後に「ワルキューレ…」というのは、「アンコール・ピース」と割り切っても流れ的に「ちょっとなぁ...」って感じですし、「ボーナス」としても今一つ魅力薄か...でも、「パルジファル」は聴いてみたいので輸入盤が出たら買う<かも>です。

  2003/05/29

    ■カノン?
     この楽譜は、とある有名な「現代音楽」の作曲家の作品の一部です。あるメロディを12部(!)に分かれたヴァイオリンが半拍遅れで次々と加わって演奏していきます。「面白い」ですし、楽譜を見ても<キレイ>です。

     でも、これでどんな音楽的な効果が上がるのか...何種類かのCDを聴きましたが、細かい音がごちゃごちゃと「何か鳴っている」という程度の印象しかありません。それが目的なのかもしれないし、そんな「効果音」を求めているのかもしれないし、あるいは(楽譜を)「見る音楽」なのかもしれません。

     でも、あのJ.S.バッハの「ブランデンブルグ協奏曲第6番」第1楽章、同じような半拍遅れの、(たった)2声部のカノンの比類のない美しさを知ってしまうと、ほとんど虚しさを感じてしまうのです。

  2003/05/28

    ■疑問
     「バンド・ジャーナル」最新号にリノス・アンサンブル他が演奏した、ドビュッシー、ウェーベルン、シェーンベルクなどの作品の「室内楽編曲版」を集めたアルバムのレビューが載っていました。私もこのCDは持っていて、なかなか面白く聴いたのですが(特にウェーベルン)、そのレビューの最後はこう結ばれています...。

     「ドビュッシーの『牧神…』をはじめ、わざわざこうした編曲で聴く必要があるかというと、ちょっと疑問もある。」

     「わざわざこうした編曲で聴く必要があるかというと、ちょっと疑問もある。」...この言葉は、そっくりそのままお返ししましょう。>BJ(>吹奏楽)

     フェネルさんは言っていました。「重要なのは楽器編成ではなくて、その音楽に対する姿勢である。」

  2003/05/27

    ■「大作曲家の吹奏楽」
     トシのせいか(?)こういうのを見ると、ついひとこと言いたくなってしまいます。

     「大阪市音楽団」って「ブラスバンド」でしたっけ?>タワーさん

     ちなみに楽団サイトの「プロフィール」を見ると「プロフェッショナルな交響吹奏楽団("professional symphonic wind orchestra")」となっており、芸術顧問はあの秋山和慶さんです。私は「なにがなんでもダメ!」とは思ってませんけど、こう堂々と書かれるとさすがに「いかがなものか」です。

     ところで、こういう企画(「大作曲家の吹奏楽」)ならば現代の「吹奏楽団」ではなくてオリジナル楽器での演奏を聴いてみたかったです。最近の「吹奏楽ファン」はこういった曲は実際あまり興味ないでしょうし、また「クラシックファン」的にも今一つ手が伸びにくいです。しかも、指揮がN氏だし(関係ないか)。例えばノリントンあたりが録音してくれたら私は<絶対>買いますよ。

  2003/05/26

    ■CCCD
     新宿タワーへ。

     D・ハーディング&マーラー室内管などによるハイドン「チェロ協奏曲」のCD(Virgin)を買おうと思って手に取ってみると「CCCD(コピー・コントロールCD)」でした。

     この「仕様」いろいろと問題があるようで「再生出来ないプレイヤーがある」とのこと。例えばパイオニアなどはこんな案内(「動作や音質の保証は致しかねます」云々)を出しており、そのCDにも、

    「Windows OS、Macintosh を問わず、このCDをCD-ROMドライブに導入したことによる運用およびその結果に関しては、お客様ご自身の責任で行って下さい。その結果、データ並びにハードウェアへの損害が生じたとしても、弊社では一切補償いたしません。」

    ...こういったような「注意書き」がシールで貼りつけてあります。発売する側(レコード会社)にも言い分はあるのでしょうが、「動作が保証されない」しかも「データやハードに損害を与える可能性がある」ものを堂々と売るというのも納得できません。

     しかも、こんな一部愛好家しか買いそうもないCDをわざわざ「CCCD」で発売するメリットはあるんでしょうか。それによって、このCDの売上枚数が上がるとはとても思えないんですが。で、結局買いませんでした。でも、9月のベートーヴェンのチケットは買ったからね。>ハーディング

  2003/05/23

    ■ヤン=パスカル・トルトゥリエ&東京都交響楽団
     東京文化会館にて。 

     1曲目はヒンデミット「高貴な幻想」組曲。バレエ音楽からの3曲から成る組曲で「接続曲」のような感じの曲ですが、ヒンデミットを得意としている指揮者らしく非常に安定感のある、いい演奏でした。最後の「パッサカリア」の盛り上がりも聴き応えがあり、これがメインでも十分納得できるような内容だったと思います。

     2曲目はヴラトコヴィッチを独奏に迎えての、R・シュトラウス「ホルン協奏曲第1番」。これはホルンに尽きます。音の鳴りが全然違いますし、テクニック、歌、本当に素晴らしかった。

     後半はプロコフィエフ「交響曲第5番」。これを一番楽しみにしていたのですが、中間2楽章がやや気になりました。第2楽章は繰り返される8分音符のリズムと旋律が上手く噛み合わず、こういうアンサンブルをキッチリと合わせる曲は苦手なのかもしれません。第3楽章はもっとデリケートなニュアンスが欲しかったように思います。しかし、特に両端楽章での<鳴らしっぷり>は大したものでした。オケにとっては「難曲」だなという印象で、この指揮者にとってもまだ100%自分の物にはしていない曲なのかという感じもしました。

     トルトゥリエさん、フルネさんが体調万全ではないことを考えると、今後「後継者」的なポジションになっていくのかもしれません。

    (前半:★★★★☆/プロコ:★★★☆☆)

  2003/05/22

    ■A・ペルト:ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌
     パーヴォ・ヤルヴィ指揮/エストニア国立響のCD(Virgin)。「ペルト作品集」アルバムの中の1曲。

     ペルトは1935年エストニア生まれの作曲家。癒し系クラシックの元祖とでもいう人で、私も一時ハマリました。彼の作品の中でも最も知られ、演奏されている曲の一つがこれです。

     弦楽5部と鐘のために書かれていますが、スコアは極めて「単純」。それぞれ2部に分かれた弦楽器が「A(ラ)」から始まり、「ラソ」「ラソファ」「ラソファミ」「ラソファミレ」(以下同様)と下降する音形を(音を一つづつ増やしながら)繰り返す、ただそれだけです。和声として加えられるのは「a-moll(イ短調)」の和音、「ラ」「ド」「ミ」の3つの音だけ(本当にこれだけ)、これに「A」の音の鐘が所々に加わり、最後は最強奏で引き伸ばされた「a-moll」の和音の後に、鐘の「A」の音だけが残って曲を閉じます。(スコアの一部

     事実、非常に美しい響きがする部分もあります。しかし、これだけでは単なる「アイデア」の域を抜け出ていないように思いますし、古今東西の大作曲家の「名曲」のような「音楽的なインスピレーション」がない、<底の浅さ>を感じてしまうのです。同じような印象を持っている作曲家は他にもいますがそれはまた別の機会に。

     さて、パーヴォはエストニア生まれですから、いわゆる「お国モノ」ということになります。まだ色々な演奏は聴き比べていませんが、この曲の美しさ、魅力は十分に味わえる演奏だと思います。

    (★★★★☆)

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