| 日記 |
| 2002/09/13 |
何といってもルーセル「バッカスとアリアーヌ」が素晴しかった。力強さ、華やかなサウンド、しなやかなリズム感。デュトワのいいところが全てぴったりはまっていて、オケも好演。少なくともナマでは、もうこれ以上の演奏は聴くことができないのではないか。 しかし、楽しみにしていた「牧神の午後への前奏曲」は音楽が流れ過ぎるように感じた。特に中間部、ここはもっと丹念に描いてほしかった。 この日は3階席右サイドだったのだが、前の席に人が座るとその頭でステージがほとんど隠れてしまう。たまたま隣が空席だったので横へ移動した。これは座席の構造なのか、たまたま前に座った人の座高が高かったのか...。 (ルーセル:★★★★★) |
| 2002/09/12 |
私(の世代?)にとって、この曲のスタンダードはフェネル&イーストマンの1958年録音盤。吹奏楽「オリジナル曲」のLPというと一連のフェネルの録音か、年に一枚くらいのペースで出ていた「自由曲集」(だったかな?)くらいしか入手できなかった時代のお話。要はこれしか選択肢がなかったのだ。 今聴いてみてもその強固なアンサンブルは素晴しく、一種生理的快感は感じるものの、正直もっと潤いというか情緒的な雰囲気がほしいと感じていたのも事実。で、これを解消してくれたのが、上記フェネル盤である。クリーヴランド管(マゼール時代)のメンバーによる演奏ということで、サウンドもソロも素晴しいものがあり、今でもお気に入りの録音だ。 フェネルは第3曲でバージョン「A」を使用している。後の佼成WEとの録音でも一貫して「A」である。最後には「A」を使用してソロをソプラノ・サキソフォンで演奏するという「合わせ技」まで行っている。なぜ、ここまで「A」にこだわるのか。 この曲の始まりと終わりは木管楽器によるカノンになっているのだが、「A」と「B」では最初の部分の調性が違っている。「A」を採用することによってカノンが再現する部分で調性の統一感が取れる(最高音部を受け持つピッコロが同じ音で始まる)、そこにこだわりを持っているのではないのかと想像するのだが...。 (私のお気に入り:★★★★★) |
| 2002/09/11 |
コンパクトにサクサクと進むブルックナー、といった感じで、メロディのニュアンスは丁寧に出していたように思う。金管は良く鳴っていたけれど、ホールの残響のせいか音が団子状態で、特にトランペットの音がほとんど抜けてこない。また、ひたすら同じような場面が続いているような感じがして(そういう曲なのかもしれないけれど)、正直ちょっと退屈してしまった。というか、最近はこの手の長大な曲はなかなか聴き切れない、というところもあるのだが...。 ノイホルトさん、いい指揮者だと思うので別のプロで(ワーグナーとか)また聴いてみたい気がする。これをきっかけに、たまに呼んでくれないかしら。 (今回は今一つかなぁ:★★★☆☆) |
| 2002/09/10 |
まず、カラヤン&ベルリン・フィルの「モスクワ・ライブ」第2弾。「英雄の生涯」と「田園」。以前店頭に並んだものの「不良品」(タイミング記載ミス)とのことで回収され、しばらくしての最入荷。この2枚組で千数百円とは安いものだ。第1弾のショスタコーヴィチが凄かっただけに期待大。 もう1枚、セル&クリーヴランド管のシューベルト「グレート」(SONY)。EMI盤はすでに持っていて愛聴盤となっているのだが、SONY盤も聴いてみたくなって購入。ちなみに、最近このコンビのCDを買い始めているのだが、新しいシリーズとして繰り返し再発はされるものの、いかに無秩序にCD化されているかというのが、はっきりと分かった。もうちょっときちんとしたリリースしてよ。>SONYさん |
| 2002/09/09 |
なんともジミでシブい旧東独コンビによるラヴェル・アルバムの中の1曲。しかし、こういうコンビがたまに名演奏を聴かせてくれることもあるのだ。 演奏時間は15分、少し速目のテンポは快適。小太鼓のリズムは大きめにおおらかに叩き始める。各ソロは最初は無難に進むが、E♭クラリネットがいきなりペラペラの音でいただけない。何だろうこの音は。 その後のテナーそしてソプラノ・サキソフォン、トロンボーンも冴えない。音色も今一つだし、歌い回しも「とりあえず、譜面通り吹いてみました」みたいな感じだ。トロンボーンはともかく、サックスはもっと上手いエキストラいなかったのかしら。 しかし、ヴァイオリンが旋律を受け持つ所から、すごくいい音がしてくる。弦のサウンドは素晴らしく、そしてトゥッティの最後の主題提示、ソプラノ・トランペット頑張ってます(ちょっと音程がアヤしいけど)。ソロはパッとしなかったものの、全奏になるとすごく充実したサウンド。厚みもあり内声部も充実。 本当、サックスとトロンボーンさえよければかなりイイ線いってたと思うんだけど。 (後半盛り返すも:★★★☆☆) |
| 2002/09/08 |
かつて「若貴兄弟」ともてはやされていた時代から時は過ぎ、とにかく色々とあって、「失望したね」なんてナベツネ氏に言われたりもしたが、記者会見でのあの突っかかるような受け答えも、自らの不安を口先でごまかせない、不器用さというか実直さから来ているようにも思えた。 結果は新小結に対して白星をあげたけれど、一気に勝負を決める力強さは感じられず、これはやはり緊張のせいか。 今場所は結果を残さないといけない、本当に土壇場だ。8勝9勝程度では許されない。もちろん、そこそこの成績を残して引退というのも最悪の道だ。 ところで、貴乃花登場で観客から応援の「手拍子」が起きてたけど、あれはちょっとカナシイ。「お兄ちゃん」の末期を思い出してしまった。 |
| 2002/09/07 |
いわゆる「オケコン」、バルトーク晩年の作品。「外面的な軽い」音楽という風に言われることも多いような気もするが、このケーゲルの演奏ちょっと違うのだ。 第1楽章の序奏からしてただならぬ雰囲気が漂う。低弦の動きを受けてのフルート、そしてトランペット・セクション。マジで怖い。死を目の前にした人間の恐怖というか苛立ちみたいなものか。 これまでは「お気楽な」音楽だと思っていたものが、ずっしりと重く響く。第4楽章、変拍子の木管に続くビオラが奏する旋律。(この曲の後半部にも再現するが)「きれいなメロディだな」くらいにしか感じなかったが、ここではそのイメージは一変して、とてつもなく深い感情を伴って迫ってくる。 いきなり狂ったように突き進む終楽章。弦楽器の16分音符の動きも全体がうねるようで、コーダ前の上下する動きも不気味。そして、金管の主題再現から終結部まではますますテンポを速めて一気に曲を閉じる。 オランダの一流オケを振った某指揮者のような「小細工」はない。譜面の表面だけをいじるのではなく、表現する(したい)ものを持っているかどうかなのだと思う。とにかく聴き所満載ではあるけれども、万人向けでないことも確か。 (ケーゲル・ワールド:★★★★★) |
| 2002/09/06 |
最初は友人に貸してもらったのだが、演奏があまりに素晴しいので自分でも買ってしまった。このCD、セルのファンにとっては「永久保存盤」、ひょっとすると「無人島へ持っていく一枚」ですらあるかもしれない。しかし、冊子の「曲目解説」はいったい何なんだろう。 収録曲4曲とも別の人の執筆で、最後に(老眼の人にはほとんど読めないほど)小さな文字で「楽曲解説は既発売の他の作品のものを転用しています」と記載されている。要は「使い回し」ということだ。また、セルはシベリウスの第2交響曲を録音していないので(他レーベルにはある)、シベリウスの解説は他の演奏家のCDかLPの物を使っているのだろう。それが「他の作品の…」ということか。 たかが「曲目解説」と言うなかれ。SONYという会社はこのアルバムの「価値」を分かっているのか。セルのファンがどういう想いをこのアルバムに抱くのか。未だに多くのファンを持つこの指揮者、もうちょっときちんと考えてほしい。(バーンスタインだけでなくね) |
| 2002/09/05 |
管弦楽曲を含む「グレインジャー作品集」に収録されている。ラトル的にはこの大人数の管楽器と打楽器のためのスコアに興味を持ったのだろうか。あるいは奏者としての演奏経験があるのかもしれない。 1曲目から低音木管を強調したサウンドが印象的。2曲目の音楽の流れとテンポのよさは格別だ。3曲目はバージョン「B」を使用、ゆったりとしたテンポで演奏されているが、ソプラノ・サキソフォンの歌いまわしについては私はCHANDOS盤の方が好きだ。 4曲目の途中、オーボエとソプラノ・サキソフォンのカノン風の部分、伴奏のバリトン・サキソフォンを思いっきり強調する面白さ。そして、金管楽器のファンファーレ風に始まる5曲目に全曲のクライマックスを持ってきているようだ。 ちなみに、使用している楽譜はCHANDOS盤(フェネル校訂版?)とは違っている。こちらは慣用的な版を使用か。 もっとカチッとしたアンサンブルを好む人もいるかもしれないが、一流の指揮者がこの曲を「クラシック音楽」の名曲として捉えた、画期的な演奏だと思う。 ちなみに、CDを購入するならば、宮澤淳一氏による解説の充実した国内盤を是非。 (アルバムとしても素晴らしい:★★★★★) |
| 2002/09/04 |
一般の音楽ファンを対象としたCDでもあり、スコアを非常に丁寧に音にしているところが好感度大。 第3曲はソプラノ・サキソフォンがソロを受け持つバージョン「B」を採用している(バージョン「A」はフリューゲル・ホルン)。私はこの演奏を聴いて、この曲は「B」で演奏すべきであると強く感じたものだ。民謡の鄙びた節回しが印象的に表現されている。 ただ、サウンドがフツーの吹奏楽になりすぎているような気もする。もっと大胆な「音」がしてもいいのではないか。それと終曲があっさりとしすぎていて非常に「軽い」印象を受ける(特に最後のリフレインから終結へかけて)。ここは、もっと心の底から突き抜けてくる表現が欲しかった。それがなければ単なる「イギリス民謡組曲」と変わりない。 とはいうものの、アルバムとしてはグレインジャーの吹奏楽作品入門としてうってつけ。(選曲、演奏共) (好感度大だけど:★★★★☆) |
| 2002/09/02 |
クーベリックは「ライブで燃える」というのは最近では周知のものになっているけれども、この演奏もまさにその通りの演奏。もう、出だしからいきなり熱い。 しかし、このコンビはいつもこんな演奏していたんだろうか。年に1,2回しか本番がないアマチュア楽団ならともかく、毎回毎回こんな演奏していたら体力精神力が持たないのではないだろうか、といらぬ心配をしてしまうが、それをやってしまうのが超一流たる所以なのだろう。 アンサンブルの精度など今一つの部分もあるけれども、「合わせておしまい」ではなくて、まずはそれを整えた上でのこの演奏(ステージ)なのにちがいない。吹奏楽で「…変容」を演奏する人たち、この演奏をどう聴く? (熱いよ!:★★★★★) |
| 2002/09/01 |
これは素晴らしい演奏!ストラヴィンスキーのスコアが実にクリアに再現されている。各パートが自信を持って自分の音符を音にして、細かい音符が単なる「飾り」ではなくて、はっきりとその曲に不可欠な部品になっている。それによってなんと見事にストラヴィンスキーのスコアが鳴ることか。もちろん指揮者のテンポ感、リズム感の良さもあるのだろう。「ロンド」に聴かれるような繊細さもイイ。 ハッタリ効かせた演出はないけれども、この曲はこれで十分。「組曲」の演奏としては最高のものの一つだと思う。 (名演!:★★★★★) |
| 2002/08/29 |
最近は吹奏楽で演奏されることも多くなって、確かに第2楽章中間部のフーガ風な部分など吹奏楽向き、というか吹奏楽そのものなんだけれども、元々のスコアはオーケストラの木管、金管、弦、そして打楽器の4つのセクションによる一種のコンチェルト、セクション毎にアンサンブルを形成することもあれば、各セクションを1つのパートとした4セクションによるアンサンブルになることもある。要は「オーケストラ」のためのアンサンブル作品であって、それが表現できていないとこの曲の面白さはない。旋律さえ鳴っていればOK、みたいな曲ではないのだ。 で、セル&クリーヴランドの演奏は文句なしに「上手い」。決して技術的に簡単な曲ではないと思うのだが、余裕すら感じる。アンサンブルとしての面白さを見事に表現しているし、かといって「機械的・無機的」にもなっていない。でも、あまりに折り目正しすぎるようにも思えてしまう。個人的には、もう一つ何かが欲しいのだが...。それに、セル晩年のEMIへの録音、「ドボ8」「グレート」は私の愛聴盤であるが、その「音」とSONY(CBS)の「音」は違いすぎないか? (上手いんだけど:★★★★☆) |
| 2002/08/28 |
ちなみに「どう見ても、キミは採らんだろ」って人もいるんですが(失礼)、どういう大学生活送ってきたか知らないけれど、会社が頭下げて来て「是非ウチに入社してください」っていう時代ではないですからね...。(私もリストラされて職探ししたら同じこと言われるかも...) |
| 2002/08/27 |
まずは「道化師…」、出だしのテンポを指示した後、音楽の流れは基本的にオーケストラに委ねて、音楽の細かいニュアンスを指示することに専念する。そこから生まれる精緻な表現は見事で、なにやら「魔法使いのおじいさん」的な雰囲気を漂わせている。(映画「ハリー・ポッター」に出てきそう) 指揮台まで付添いの手を借り演奏中もずっと椅子に腰掛けたまま、曲が終わってからの拍手にも客席は振り返らずオーケストラやソロ奏者に合図して起立させるだけ。 自分の思い通りに身体が動いてくれないというもどかしさがあるのだろうか、随所で気合を入れるような声を発したり、旋律を大声で歌ったりしている。棒でオーケストラ全体をドライブすることは厳しくなっているようにも見える。 テンポは非常に(異常に?)遅く、正直「イベリア」では(私の)緊張感が途切れてしまった。この指揮者についての盛り上がりも「正規盤」が発売された頃に比べるとかなり沈静化した感があるけど、やはり「物珍しさ」もあったのかな...。なんとなくバーンスタインの晩年の音楽を思わせるアクの強さがある。 (木管が上手いので:★★★★☆) |
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